Yusaku
Shimizu
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Episode01
僕は神奈川県横浜市港南区出身で、地元小学校、中高一貫校を経て神奈川歯科大学に進みました。小学校時代は、地元の池で釣りしたり近所の公園を友達と走り回っているような子供でした。
中学校受験を経て中高一貫校に進学し、バスケットボール部に入りました。
試合ではレギュラーとして出させて頂き、チーム競技の楽しさを覚えました。
当時はマイケルジョーダン選手が率いるシカゴブルズの全盛期で、優勝を決めた試合のビデオは何度も見ていました。
高校に上がってから進路を考えるようになると、かねてから興味があった建築士と歯科医師との二択で悩んでおりましたが、熱心に歯科医療に取り組む父の姿を見て、やりがいのある仕事を自分もやってみたいと思い歯学部を受験することにしました。
Episode02
大学に進むと、袴姿の先輩方の格好良さに影響され弓道部に入りました。勉強はそっちのけで弓道の奥深さにのめり込んでいきました。慣れない和弓に悪戦苦闘しましたが、残って練習する時も遅くまで付き合ってくださる先輩のおかげで楽しく頑張り続けることができました。
一年に一度ある歯学体という全国歯学部学生大会の試合で勝つために練習を重ねました。
結果は個人戦成績全体4位止まりでしたが、一生懸命取り組んだからか、全国の他大学の先輩や同級生達と自然と響きあい弓道を通して仲良くなることができました。
弓道部では最終的には主将という大事な役職を頂戴し、その時には組織を運営する難しさを学びました。
院長を務めるようになってからはこの時のことを振り返ることが増えました。
当時上手くいかないことも少なくありませんでしたが、院長という役職になった今、振り返ると本当に良い経験をさせて頂いたなと思います。
Episode03
私は一年間の国家試験浪人を経て歯科医師となりました。この苦い経験からとても沢山の学びを得ることができました。
なんとなく歯科医師になれるだろうという甘い考えはなくなり、先に歯科医師になった同級生達を見るたびに自分も早く腕を磨きたいという思いが強くなったことを鮮明に覚えています。
晴れて歯科医師になれた私は母校・神奈川歯科大学と提携研修歯科医院で研修をしました。この時仲良くなった同期は今でも密に連絡を取り合う戦友です。
私を受け入れて下さった研修先の院長先生も多くのことを教えてくださいました。
部活動の時もそうでしたが、後から振り返ると示唆に富んだことを多くお話して頂きました。
明確な目標と期限を設け、それに向かって地道に歩むために1日の「気づき」(一日のフィードバック)を記録し経験から学ぶことをご指導頂きました。
研修医を終えた私は、東京医科歯科大学の歯周病科へ入局しました。
ここでも才気溢れる先輩方に非常に多くのことを教えて頂きました。
とても刺激的な所で遥か先をひた走る先輩方が色んなことを教えてくださる上、情報もドンドン手に入る場所でした。
そのため、帰るための移動時間が勿体なく感じ、医局に寝泊りしながら最初の2年間を過ごしました。
そんな変わり者の僕を煙たがることなく面倒を見てくださり勉強話がてら、よくご飯に連れ出して下さった先輩方には今でもご指導頂いております。
医局在籍時は外来の他、都内の異なる地域2軒の医院で非常勤医として診療し、様々な患者さんを拝見させて頂きました。
中身の濃い3年間の研修を経て、私は実家の診療所へ戻ることに致しました。
当時、すでに手術用顕微鏡を応用した歯科治療は普及してきており、私も少しでも早く臨床に取り入れたいと思ったからです。
そのためには手術用顕微鏡を独占して自由に使える環境が必要でした。
港南区港南台にあります実家の診療所で手術用顕微鏡を応用した臨床に取り組み始めて3年が経ち、光栄にも区外からもお越し頂く方もいらっしゃいました。そのため、より交通の便の良い場所で多くの方を拝見させて頂きたいと思い、横浜駅から近い鶴屋町で開業することを決めました。
このお話を頂戴した時、診療所真裏の住宅地に昔両親が住んでいたことに不思議なご縁を感じたのを覚えております。
また、徒歩5分の場所には私の母校であります神奈川歯科大学付属病院・横浜研修センターもあります。
大学病院と緊密な連携を図りながら、素晴らしいご縁ができましたこの場所で地域医療に貢献したいと考えております。